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片岡義男.com 全著作電子化計画

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評論・エッセイ

片岡義男の代名詞とも言える「短編」の数々。作品の所々に作家自身のライフスタイルが垣間見える

作品一覧

公開作品 845

つもる話とふたり連れ

つもる話とふたり連れ

 待ち合わせの場所は、ホテルのバーだった。ずいぶん以前に何度かたてつづけに来たきり、この数年、一度も…

彼女の部屋に文庫本

彼女の部屋に文庫本

 都電の停留所ちかくのビリヤードで昼すぎからずっとロテーションをやりつづける。やがて、夕暮れどきがく…

ウエイトレスに惚れて以後

ウエイトレスに惚れて以後

『恋におちて』というアメリカ映画のなかに、次のようなシークエンスがあった。  主人公を演じるロバー…

脚を見る人

脚を見る人

 べつに仮名にする必要もないのだが、とりあえずたとえば田中三郎とでもしておこうか。この田中三郎とぼく…

ウエイ・オヴ・ライフを守る

ウエイ・オヴ・ライフを守る

1991年1月、イラクによるクウェート侵攻に対し、アメリカは有志連合による多国籍軍を組み両国国境付近…

雨の日のカフェにて

雨の日のカフェにて

雨の日のカフェにて  僕の父親はハワイで生まれ育ち、二十代と三十代をカリフォルニアを中心にして…

ヨーロッパの文房具の機能や造形のなかに

ヨーロッパの文房具の機能や造形のなかに

ヨーロッパの文房具の機能や造形のなかに  次にあるのは、二〇〇八年の暮れも近いある日、…

真夜中にセロリの茎が

真夜中にセロリの茎が

 一九三八年にレス・ブラウンはバンド・オヴ・リナウンという名称のジャズ・バンドを結成した。リナウン(…

数の迷路を旅する

数の迷路を旅する

 久しぶりに国語辞典を買った。新明解国語辞典の革装のもの、そしておなじ新明解国語辞典の、小型版の二冊…

追憶の春、現在の春

追憶の春、現在の春

 三月、四月、そして五月の三か月が、日本の春だという。この春をめぐって、もう何日も前から、僕はさまざ…

知らない町を歩きたい

知らない町を歩きたい

 どこか知らない町を歩きたい、という気持ちが僕のなかにほとんどいつも、かなり強くある。かなり強いから…

コーヒーは俳句を呼ぶのか

コーヒーは俳句を呼ぶのか

 冬の始まりを感じさせる気温の低い日だった。平日の午後五時前の街は、すでにさまざまに明かりの灯る夜だ…

コーヒーに俳句が溶けていく

コーヒーに俳句が溶けていく

 この冬最初の寒気が日本列島に流れ込んでいるという日の夜、三人で寿司を食べた。いつもの私鉄沿線のほど…

「スキヤキ」の次は「スシ」だった

「スキヤキ」の次は「スシ」だった

 一九六一年の日本で「上を向いて歩こう」という歌がヒットした。日本人全員と言っていいほどに多くの人た…

かき氷は食べましたか

かき氷は食べましたか

 待ち合わせのカフェに彼はすでに来ていた。大きな楕円形のテーブルの一角で椅子にすわって脚を組み、小さ…

旅は日曜日に始まる

旅は日曜日に始まる

 仕事でときたま会う三十代の男性から、つい先日、「ゲッスイキンのことを英語でなんと言うのですか」と訊…

旅先にうまい水あり

旅先にうまい水あり

「旅先にうまい水あり」というフレーズは、友人からもらったものだ。このタイトルでなにか書いてみろと言っ…

湯麺がひとつ本棚にある

湯麺がひとつ本棚にある

 南口にくらべると北口の商店街は静かだ。歩いている人の数が少ないし、若い人たちをまったくと言っていい…

東京はなにの都か

東京はなにの都か

 水の都はヴェニスだ。映画の都はハリウッド、そして花の都はパリだ。この場合の花とは、土から生えて咲い…

弁当の秋

弁当の秋

 自分が久しく食べていないものはなにだろうか、と秋の始まりの街を歩きながら、ふと思った。食欲の季節と…

醬油味への懐疑の念とは

醬油味への懐疑の念とは

 自分が食べたものに関する記憶で、もっとも遠くまでさかのぼることの出来る記憶は、いったいなにだろうか…

定刻に五分遅れた

定刻に五分遅れた

 一九六〇年代の終わり近く、ひょっとしたら一九七〇年代に入ってから、確か月刊総合雑誌の編集部から、吉…

コーヒーに向けてまっ逆さま

コーヒーに向けてまっ逆さま

 一九六六年だった、ということにしておこう。誤差はあったとしても、せいぜい半年から一年だ。季節は夏の…

まず一杯の水をテーブルに

まず一杯の水をテーブルに

 高台の自宅のすぐ近くに階段がある。数えた人によると百三十段あるそうだ。風情のある階段とは言いがたい…

こうして居酒屋は秋になる

こうして居酒屋は秋になる

鯖の文化干し 豚の角煮 ゆ柚ず子白菜 鳥軟骨揚げ かま焼き えんどう豆 塩らっきょう ところてん 海…